みこしです。私は沖縄生まれで長男です。一人っ子でもあります。さらに父も一人っ子の長男です。家には仏壇(トートーメー)があり、小さいころは両親と曾祖父の4人家族でした。私の年齢は40代後半ですが、私が生まれた当時としては母親の年齢としては遅めの出産ということもあり、男の子が生まれたことに大変喜ばれたように聞いています。
小さいころからお盆と正月は父親と一緒に親戚の家を周っては、大きくなったねぇと喜ばれ、シーミーの時には、線香を集めたりウチカビを燃やすのを手伝ったり、沖縄の習わしと親戚付き合いすることが普通なんだと思うように育ててくれました。
私にとっては大きなプレッシャーとならないよう父親が導いてくれたように思います。中学生、高校生の反抗期からは親戚づきあいは疎遠になる時期もありました。大学も沖縄から出ようとなんとなく思っていました。父親は大学も沖縄県内で行かせようと車をエサにしてアプローチしてきましたが、なんとなく県外しか頭にありませんでした。
父親は私が県外の大学に進学すると就職も県外、もしかすると帰ってこないかもという心配もあったと思います。私はなんとなく県外を選択したのは、明確な意思としてはなかったものの、将来は沖縄で生活するので大学くらいは県外に出たほうがいいと感じていたのかもしれません。それだけ沖縄の長男の役割というのが勝手に染みついていたんだと思う。
就職で沖縄に帰ってきても、反抗期で距離が出来てしまった感じで、親戚とも表面的な付き合いでしかない感じでしたが、結婚を機に親戚付き合いもうまく出来るようになり、嫁さん側の親戚とも付き合いがでて、血縁というコミュニティーを手に入れたことは、精神的にとても楽になり安定しました。
沖縄の長男は可愛がられ、期待され、現実の自分とのギャップにプレッシャーを感じることもあり、その反動でうまく生きることができず、息苦しい立場においやられてしまうこともあるように見受けられます。幸いにも、私はどうにか今の段階では長男の役割を果たせているのかなと、ただ今後の親戚付き合いや地域コミュニティーでの役割などコロナで距離が出来てしまったこともあり、また、両親含め私を可愛がってくれた親戚も高齢となったことから、新たなプレッシャーを感じてきていることもあります。
私には息子がおりますが、彼もまた家族や親せきから期待され愛され成長していくなかで、プレッシャーに感じることがでてくるのでしょう。うまく見守りサポートしていきたいな。コロナがおさまれば、シーミーが出来るんですけどね。遅くともお盆には以前のように、親戚との付き合いがしやすい環境に戻っていてほしい。
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