Mommy

映画・音楽

土曜の夜、一人で映画「Mommy マミー」をミュージックタウン・シネマへ観に行った。久々の「ミュージックタウン・音市場」。このあいだ施設の周辺に選挙の応援で来たことはあるのだが。

あまり施設のことも理解しておらず、ミニシアターの設備が音市場にあったっけなと思いながら向かった。行ってみると、ライブ会場で映画見れるのね、ということでした。以前ライブを見に来たけど何のライブだったけな。11月にはハナレグミを観に来る予定。

土曜日の夜にこの映画を観にくる人は少ないだろうな、ミュージックタウンで映画がやってること自体知ってる人少ないだろうな、という想定どおり、観客は私を含め2名だった。

ステージ上のスクリーン、テーブルや席の配置
会場前の雰囲気

仕事でもよく考えるようになったのだが、「事実とは何なのか」ということ。映画はドキュメンタリーなのだが、「和歌山毒物カレー事件」の事実を明らかにするために、家族は 林眞須美 死刑囚が無実であると信じ、事実を積み重ねている。その事実も他者から見ると事実ではない、立場が違うと見え方も事実としての捉え方も変わってくる。

一方でこの林家は保険金詐欺をしていたのも事実であり、この保険金詐欺の事実が「和歌山毒物カレー事件」へも影響しているようにも思えた。全く関係のない事件かもしれないのだが、紐付けてしまっているように、事実ではなく状況から判断してしまったように思えてくる。

仕事でもそのようなことがあり、事実を積み重ねて判断し進めようとするものの、サンクコスト効果や関係がありそうな事実を無理に紐付けて、さも理屈が正しいとして安易な判断をしてしまうこともあるように思う。影響が小さいのか大きいのかで、安易な判断になっていないかのチェックのレベルも変わってしまう。本来はすべての事項に対し、事実を踏まえたうえで想定も含め判断するのだが、やるべきことが多いとどうしても事実整理の時間を短縮することにもなる。そのうえで判断しないといけないという悩ましい状況になってしまう。

映画を観ると、林眞須美死刑囚が本当に犯人であるかは疑わしく感じてはしまうが、その原因は当時の捜査結果や裏付け、鑑定方法・結果が事実として認定していいものなのかと思わせてしまうところだろう。このようなことから事実を積み重ねて判断するということは難しいと改めて思うし、感情や周りの声に影響されずに事実も見つめる難しさも感じてしまう。

ミュージックタウン・シネマに今後も足を運ぼう。桜坂劇場の会員であれば割引されるし、駐車場が6時間も無料となるのだ。周りで飲食する機会にもなるし、下のフロアにはカラオケもあり、50歳で実践したいことの一つ、一人カラオケも出来そうだ。

地元の活性化に繋がれば良いと思うし、近くでライブが聴ける環境を継続していくことの応援にもなる。何より自分自身が楽しめると思える場所でもあったので大事にしていきたい。

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